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エベレスト登山隊(ネパール側/南東稜)

エベレスト登山隊を徹底解説【写真&動画】

参考料金 ¥ 5,460,000(参考)

ネパールの南東稜からエベレスト登頂(8,848m)を目指す登山隊。毎年4月頭~5月末の2か月間で催行されます。日本語シェルパ、日本食のついた最大の日本人隊なので、英語が苦手な方も安心してご参加頂けます。年齢制限はありません。事前の準備からトレーニングまで徹底サポートしますので、挑戦するのに十分な体力があれば、登山未経験者でも参加できます。
時期

4月頭~5月末の2か月間

日数

約55日日間

体力

5

エベレスト登山隊を徹底解説【写真&動画】

標高

8000m以上

エベレスト登山隊を徹底解説【写真&動画】

目次

① プランのポイント
② エベレストMAP
③ エベレスト街道の概要
④ 基本プラン事例
⑤ 応用プラン事例(通常行程、ゆっくり+ヘリ、健脚者向け)

ポイント

① 南東陵ルートから世界最高峰エベレスト登頂を目指す登山隊
② 日本食コック、日本語ガイドがサポートする日本人隊
③ トレーニングや装備品の準備も徹底サポート

エベレスト登頂ルート(南東稜)MAP

エベレスト登山の概要

 エベレストは、中国とネパールの国境に跨る世界最高峰の山。チベット語でチョモランマ、ネパール後でサガルマータと呼ばれる。標高は2020年に測量された8848.86mという説が最も有力である。

エベレストは1953年にイギリス隊のメンバーでニュージーランド出身の登山家エドモンド・ヒラリーとネパール出身のシェルパであるテンジン・ノルゲイによって初登頂がなされた。
1924年にエベレスト委員会によって実行された第3次遠征隊において、マロリーとアーヴィンが登頂をしたという可能性もあるが、これは登山史最大の謎とされ、小説「神々の山嶺」(著:夢枕獏)などのモチーフにもなっている。
1990年代後半からは、登山者を募る公募隊という形式が一般的となっている。公募隊とは、ルート開拓、クライミングガイド、キャンプ、食料、荷上げといった、個人が登頂する上で必要なサービスを提供する商業隊である。ネガティブに捉えられることもある一方、各国の大型遠征隊が組織されることのない現在では、8,000m峰登頂のための重要な手段となっている。

全世界のエベレスト登頂者は5,000人を超えているが、そのうちの日本人はわずか200名程度である。1970年に植村直己さんが日本人初登頂をしてから50年以上と考えると、その数は決して多くはない。

 エベレスト登山隊の参加者は、日本人隊では半数程度が60歳前後の中高年となっており、男女比は男:女=8:2程度。2ヶ月という期間と高額な参加費用から、仕事を退職するタイミングで参加をする方が多い。一方、国際隊は平均年齢40-50歳程度となっており、食事・言語・体力・サポートの面から日本人は苦労をすることが多い。

エベレスト登山の行程事例/ルート

エベレスト登山(南東陵)のサミットプッシュ(アタック)は4〜5日間の行程で行われる(下山行程は2日間)。多くの隊でキャンプ2で2泊して体力を回復させることが多いが、天候次第ではその休息が取れない。本記事では休息日を割愛して4日間の行程として紹介する。

エベレスト南東陵ルートでは、ベースキャンプ(BC)の目の前にあるアイフォール、深いクレバスが連なるウエスタンクームを越え、エベレスト(主峰)・ローツェ(南峰)・ヌプツェ(西峰)の広い緩斜面を歩いた後、ローツェフェイスと呼ばれる1000mの氷壁からエベレストとローツェのコル(サウスコル)へ出て、最後にエベレスト主峰に挑んでいく。

■全体行程(参考事例)
 4月3日~4月11日:ルクラ~エベレストBCトレッキング(8日間)
 4月15日~4月19日:ロブチェピーク高度順応(4日間)
 4月22日~4月24日:アイスフォールトレーニング
 4月26日~4月30日:キャンプ2orキャンプ3高度順応(4~5日間)
 5月1日~5月8日:サミットプッシュに向けた休息
 5月10日前後:サミットプッシュに出発

■サミットプッシュ

<1日目>ベースキャンプ~キャンプ2


ベースキャンプ(5,300m/BC)〜アイスフォール〜キャンプ1(C1/5,900m)(5~12時間)
キャンプ1~ウエスタンクーム~キャンプ2(C2/6,400m)(3-5時間)

ベースキャンプの目の前にあるアイスフォール。アイスフォールは巨大なセラック帯であり、気温が上がると崩落リスクが高まるため、夜2時頃にベースキャンプを出発する。
 出発から30分くらい歩くとクランポンポイント(アイゼンを着用する場所)へ到着し、そこからは、エベレスト頂上までフィックスロープがつながっている。急傾斜でない箇所ではユマーリングは行わず、ランヤードでフィックスロープに掛け替えをしながら歩く。
 アイスフォールはネパール政府から派遣されたアイスドクター(SPCC/Sagarmatha Pollution Control Committee/ サガルマータ環境統制委員会)と呼ばれるチームが管理をしており、崩落箇所を毎日メンテナンスしており、難易度の高い氷壁や広く割れたクレバスには梯子が設置されている。
 さらに、毎日数多くの登山者が全く同じルートを歩き続けているため、トレースやステップがはっきりしており、技術的難易度は高くない。
 ただし、5000m代後半で、自身の身体を引き上げる活動自体が苦しいので、体力的に余裕がある人にとっては「大人のアスレチック」。体力がない人にとっては、「延々と精神と身体をすり減らす地獄の道」と感じられるらしい。参加者の声としても大きく評価が分かれるポイントであり、通過時間も5~12時間以上と幅広い。

 アイスフォールを越えると、キャンプ1に到着だ。キャンプ1はウエスタンクームの畝の上に設置されている。ベースキャンプやキャンプ2とは違い、ダイニングテントやトイレテントが常設され、コックが料理を作ってくれる場所ではないので、高度順応時は1泊するが、サミットプッシュ時は一気にキャンプ2まで上がることが一般的である。C1はダイニングがないので、同行しているシェルパがスープヌードルなどを作る。尾西のフリーズドライなどが食べたい人は出発前に予め伝えておけばよい。

 ウエスタンクームは氷河の割れ目が連続した場所であり、畑の畝のようになっている。その多くは、畑の畝と同じようにカーブを描いており、畝の入口はハーフパイプのように急だ。この畝を10個以上越えて歩かなければならない。そのうち1か所は15m程度の氷壁となっており、呼吸が非常に苦しいので頑張ろう。帰りは写真右側のルートを懸垂下降で降りるので楽だが、懸垂下降の技術はしっかり身に着けておく必要がある(エベレストベースキャンプ到着後にトレーニングをするが、あらかじめ慣れておきたいところ)。
 ウエスタンクームの割れ目は非常に大きく、映画などでよく見る長いラダー(梯子渡り)は、アイスフォールではなくウエスタンクームにある。梯子渡りの数はシーズンによるが、大きい3連結梯子は1か所、小さな梯子はアイスフォールも合わせて10 か所程度設置されている(縦梯子も含めると20か所程度)。

 ウエスタンクームを越えると、キャンプ2までの長い長いゆるやかな登りとなる。ペースによって1時間半から3時間ほど。直射日光と照り返しで非常に暑くなることが多く、経験者の中にはこの暑さがもっともしんどかったという人もいる。サミットスーツの場合は、上半身を脱ぐなどして体温調整に気を付けよう。風がなければベースレイヤー+薄手のフリースのみでも十分だ。

<2日目>キャンプ2~ローツェフェイス(前半)~キャンプ3


キャンプ2(6,300m)~ローツェフェイス入口(6,900m)(1時間半~2時間 *テントの場所による)
ローツェフェイス入口(6,900m)~キャンプ3(7,300m)(3時間)

まずは、エベレスト南東稜のキャンプ2の紹介から。キャンプ2はダイニングテントやトイレテントが設置されており、BCのように快適に過ごすことが出来る。ただし、高山病対策の観点からも個人テントではなく、2人で1つのテントとなるので耳栓などは忘れずに。また、トイレテントはクレバスの上に設置し、深い割れ目に用を足すスタイル。30cm程度の割れ目となるので、夜などは寝ぼけて落ちないように気を付けて頂きたい。
 食事はコックが和食を作ってくれる。体調に応じて卵がゆなどもオーダー出来るので、体調面や食欲などで要望があるときはクライミングシェルパにしっかり伝えること。

 キャンプ2~キャンプ3のルートについて。キャンプ2のテントの場所によって1~2時間程度でローツェフェイスの入口(6,900m)までの緩斜面を歩き、そこからローツェフェイス中腹に設置されたキャンプ3(7,300m)まで約400mの氷壁を登る。隊によって、キャンプ2から酸素ボンベを使用する隊とキャンプ3まで無酸素で登る隊があるが、無酸素で7,300mまで歩くのは非常にキツイ。日本人隊はキャンプ2から使用する隊が多いが、酸素ボンベの追加は400US$程度の費用がかかるので、契約前に確認をしておいた方が良い。
 ローツェフェイスの氷壁は30度~60度程度。垂直な氷壁ではないし、たくさんの登山者が歩いていることで、ステップがはっきり付いているため、技術的難易度は低い。ただし、そのステップの幅が外国人仕様で幅広いので、小柄な方にとっては大股でユマーリングをしなければならず、体力の消耗が激しい。一歩一歩しっかりと呼吸を整え、低酸素状態を作らないように歩くことがポイントだ。くれぐれも、「10歩歩いて1分休む」といったことがないように。
 服装としては天気が良ければベースレイヤーのみで歩くことも可能なほど。一方、サミットスーツで歩くため、上下一体型の場合は上着を脱いで腰に巻くなどしないとかなり汗をかいてしまうので注意。セパレート型の場合は、ザックに縛るなどして歩けるので有利だ。

 キャンプ2~キャンプ3のルートについて。キャンプ2のテントの場所によって1~2時間程度でローツェフェイスの入口(6,900m)までの緩斜面を歩き、そこからローツェフェイス中腹に設置されたキャンプ3(7,300m)まで約400mの氷壁を登る。隊によって、キャンプ2から酸素ボンベを使用する隊とキャンプ3まで無酸素で登る隊があるが、無酸素で7,300mまで歩くのは非常にキツイ。日本人隊はキャンプ2から使用する隊が多いが、酸素ボンベの追加は400US$程度の費用がかかるので、契約前に確認をしておいた方が良い。
 ローツェフェイスの氷壁は30度~60度程度。垂直な氷壁ではないし、たくさんの登山者が歩いていることで、ステップがはっきり付いているため、技術的難易度は低い。ただし、そのステップの幅が外国人仕様で幅広いので、小柄な方にとっては大股でユマーリングをしなければならず、体力の消耗が激しい。一歩一歩しっかりと呼吸を整え、低酸素状態を作らないように歩くことがポイントだ。くれぐれも、「10歩歩いて1分休む」といったことがないように。
 服装としては天気が良ければベースレイヤーのみで歩くことも可能なほど。一方、サミットスーツで歩くため、上下一体型の場合は上着を脱いで腰に巻くなどしないとかなり汗をかいてしまうので注意。セパレート型の場合は、ザックに縛るなどして歩けるので有利だ。下半身はベンチレーションを最大限活用しよう。
 ローツェフェイスより上で高山病などによって行動不能に陥った場合、ヘリはローツェフェイス入口までしか飛ぶことが出来ないため、ロープでズルズルと下ろされる。

 ローツェフェイスを3時間ほど歩くとキャンプ3に到着する。キャンプ3は氷壁の途中にテントの幅の棚を作って設置される。
 風の吹き上げや小さな雪崩のリスクもあるので、周辺には壊れたテントが残置されている。棚から落ちてしまうと命に係わる場所なので、トイレに行くときもアイゼンを付けて、ハーネスとカラビナで確保しなければならない。トイレテントはないため、小さい方はテント内でピーボトル(1Lのナルゲンボトル)に用を足し、一杯になったら外に捨てる。大きい方は、テントの横で穴を掘って用を足す。
 キャンプ3で驚くことはテント内の気温だ。晴天時、酸素の薄い場所で非常に強い紫外線がテントシートにあたるため、テント内の気温は40度を越える。何もしなくても汗をかいてしまうため、テント内は薄着で過ごす。しかし、太陽が隠れた途端に温度が10度程度まで下がっていくため、急いで服を着る。夜は-15 度程度まで冷え込むためサミットスーツを着て寝袋に入る。サミットスーツ自体が-40度対応なので、-20度対応の寝袋でも十分だ。

<3日目>キャンプ3~イエローバンド~ジェネバスパー~キャンプ4(サウスコル)~エベレスト山頂に出発

イエローバンドとジェネバスパー


キャンプ3(7,300m)~イエローバンド下部(7,600m)(4時間半)
イエローバンド下部~ジェネバスパー(8,000m)(3時間半)
ジェネバスパー~キャンプ4(7,900m)(30分)
*夜にキャンプ4を出発するが、翌日の記事にまとめる。

 キャンプ3からは、前日の続きでローツェフェイスを登っていき、イエローバンド(7,600m)とジェネバスパー(8,000m)という岩稜帯を越え、キャンプ4の設営されたサウスコル(7,900m)に少し下る。ローツェフェイス後半は基本的に1本のロープで登っていくため、登山者が長い列を作っており、追い越しなどはほとんど出来ない。
 キャンプ3からは酸素を吸いながら歩くため、前日と比べるとはるかに楽に歩ける。酸素の流量は毎分0.5L~4Lで調整して、6,000m前後の酸素量に調整するのが一般的だ。(4Lで使用することはあまりなく、キャンプ3では睡眠時0.5L、歩く時で1~1.5L程度。)
 4時間ほどでイエローバンドへのトラバース地点に到着。慎重にトラバースをした後、岩と雪のミックスのイエローバンドを登る。イエローバンドは、石灰岩が変質した、黄色の大理石の地層がある。表面は滑らかで固く滑りやすいため、アイゼンの爪のかかる場所を探りながら登る必要があるが、20分程度で通過出来る。

イエローバンド


 イエローバンドを通過してから1時間ほど歩くと、ジェネバスパーの入口に到着する。ここにはローツェキャンプ4が設置されている。ジェネバスパーも岩稜帯ではあるが、雪がしっかり付いていることが多いので、イエローバンドよりも難易度は低いが長い。ここまでも一歩一歩が重くゆっくりとしか歩けないのだが、ジェネバスパーから見るエベレストはまだまだ高い。「本当に明日の朝にあそこに辿り着けるのか?」といった思いが頭をよぎる。ジェネバスパーは1時間弱で通過できる。
 ジェネバスパー頂上からは、トラバースをしつつ標高を落とし、キャンプ4(サウスコル)に到着する。

ジェネバスパー

 ついにジェネバスパー頂上で標高は8,000mを越え、エベレストとローツェの鞍部(サウスコル)に設置されたキャンプ4に到着。ここは人間の身体が順応できないデスゾーンと呼ばれるエリア。空気は地上の3分の1程度しかない。さらに、デスゾーンの酸素濃度では人の消化機能が著しく低下するか完全に停止する。食物を消化するよりも、体内のエネルギーを使用した方が効率が良いと身体が判断するためだ。現在の登山隊では酸素ボンベを利用することで、デスゾーンでも2~3日は滞在が出来るが、サイスコルは雪も飛ばされてほとんどつかない程、非常に風が強い。周辺には壊れたテントの残骸が散乱している。日本人女性として田部井順子さんに続いて2人目のエベレスト登頂者となった難波康子さんが亡くなったのも、このサウスコルに設置されたキャンプ地からわずか300mの地点とされている。常に命の危険と隣り合わせの場所である。

 キャンプ4到着後は、食事をとった後、とにかく身体を休めることが大切だ。というのも、この日の夜20時か21時頃にはエベレスト山頂に向けて最後のサミットプッシュに出発する。18~19時頃には、再度食事を取って準備を開始しなければならず、睡眠をとる暇がほとんどない。風が強いと眠れないかもしれないが、テントに横たわって目を閉じることで、少しでも身体を回復なければならない。
 ここから先は4日目の活動として記載する。

<4日目>キャンプ4~バルコニー~サウスサミット~ヒラリーステップ~エベレスト山頂

■登り
キャンプ4(7,900m)~バルコニー(8,400m)(4時間)
バルコニー~サウスサミット(8,750m)(3時間)
サウスサミット~ヒラリーステップ(8,790m)(1時間30分)
ヒラリーステップ~エベレスト山頂(8,848m)(30分)

■下り
エベレスト山頂~バルコニー(2時間)
バルコニー~キャンプ4(1時間30分)

 キャンプ4出発は21時。もう少し遅く出発する隊もあるが、天候悪化はもちろん、近年の渋滞状況を考えると早い方が有利だ。6時頃の登頂であれば空は十分に明るく、渋滞に巻き込まれることもほとんどない。渋滞のピークは午前8時~10時頃である。
 
  キャンプ4からバルコニーに向けた行列のスタート地点まではおよそ30分~1時間程度。この行列に入った後は、一本のロープをユマーリングで上がっていくため、行列のペースに合わせて非常にゆっくり歩くこととなる。体力に余裕がある方にとっては多少ストレスかと思うが、体力に余裕がない方にとっては、この行列によって救われたという話をよく聞く。ある程度早い時間帯にここに入ってしまえば、ひたすらゆっくり、一歩一歩、半分寝ながらでも歩き続ければ登頂することが出来る。酸素ボンベの不具合や酸素切れにさえ気を付けておけば、高山病のリスクもほとんどない。

 行列に入ってから、およそ3時間半程度で8,400mのバルコニーと呼ばれる雪棚に出る。バルコニーは中国との国境に位置する稜線であり、ここで中国側からの風が強いと撤退ということもあるので一つのキーポイントと言える。多くの人は暖かいお湯を飲んだり、最初の酸素ボンベを交換するなどで10分程度の休憩を取る。

 バルコニーからはサウスサミットに向けて3時間程度の稜線歩きとなる。ここまでと同様、行列と一緒にゆっくりとしたペースで歩くわけだが、この稜線の景色が素晴らしい。地球上で最も高い場所に位置する稜線では、星座が自分の真横よりもさらに低い場所から見え、まるで天球の中を歩いているように感じられる。さらに、地球上で最も空気が薄いということは、星の光を遮る大気も少ないので、そこから見られる星空はまさに地球一と言っても良いのではないだろうか。
 さらに、バルコニーからサウスサミットに向けて登っている途中で、地平線上が真っ赤に燃える景色が見られる。8,500mを越える場所から見る日の出は、空が白むよりもまず先に、地平線に横一線に燃えるようなオレンジ色が広がるのである。それから、少しづつ空が明るくなり、辺りを見渡してみよう。自分が登るルート以外に、自分より高い場所には何もない。あれだけ巨大に立ちはだかっていたローツェも、マカルーもはるか下に見える。自身が、間違いなく世界一の場所に歩まんとしていることを強く実感する瞬間である。エベレストに挑戦をする方は、是非この瞬間を楽しんで頂きたい。

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 さて、バルコニーからの稜線を3時間ほど歩いていくと、空に尖ったピークが見える。これが8,750mのサウスピークだ。そして、このサウスピークも登頂に向けた大きなキーポイントとなっており、西から吹くジェットストリームによってここから引き返す登山者も少なくない。一方、ここで天候が良かった場合、ついに目の前に世界最高峰エベレストの主峰の神々しい姿が正面に見られる。天候や体調不良など、様々なリスクを乗り越え、ついに自分が世界の頂上に立てるのだと確信できる瞬間である。

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 サウスピークからは、切れたトラバースを超え、有名なヒラリーステップを越える。ヒラリーステップはエベレスト南東稜ルートの最大で最後の技術的難所として知られているが、2015年の大地震で崩れ、現在は垂直ではなく急な斜面となっているので、難しくはない。それでも、崖っぷちにフィックスされた一本のロープを登りと下りの登山者が使用しており、滑落すれば2,400m程落下することになるので、しっかり確保をして乗り越えよう。

 ヒラリーステップを越えると広い雪原にでる。

そして、その頂上にはたくさんの旗(タルチョ)があり、歓喜する人々がいて、真ん中には金色の像が立っている。エベレスト山頂である。これまで、たくさんの登山者をサポートしてきたが、その全員が様々な想いでここに立ち、ほぼ全員が感激の涙を流している。
 エベレスト山頂に立つと、当たり前だが、自分よりも高い場所には何もない。間違いなく、地球上で最も高い場所にいるという実感と360度の絶景に包まれる。しかし、多くのエベレスト登頂者は、景色以上に自分の心に溢れる何かに感激しているように思う。エベレスト登山は、ただの登山ではなく「人生そのもの」をぶつける場所だ。その頂上では、これまで歩んできた人生の努力や苦悩、この場所に導いてくれた様々な奇跡、支えてくれた人々の顔、そいうったものが走馬灯のように流れ、最高の達成感や感謝に包まれる人生最高の瞬間を過ごすことになるだろう。